第一章 跳躍と存在の力学
思考と跳躍のちがい
思考は連続している。
AからBへ、BからCへと一歩ずつ進む。
そこには整然とした筋道があり、安心感がある。
だが跳躍は違う。
Aから突然、Zへ。
途中の橋を無視して飛び越える。
その不連続さは、ときに「無謀」「飛躍しすぎ」と呼ばれる。
しかし、世界を更新するのは常に「飛躍」だった。
万有引力の法則も、相対性理論も、社会の大転換も――思考の連続からではなく、不連続の跳躍から生まれた。
存在の強度は跳躍で測られる
人間は単に「存在する」のではない。
どれだけ大きな跳躍を遂げたかによって、その痕跡が決まる。
数学にたとえれば、複素数の絶対値のようなものだ。
跳躍の半径が大きいほど、存在の強度は強くなる。
小さな跳躍は自己の輪郭にとどまるが、大きな跳躍は世界の構造そのものを揺るがす。
跳躍者は孤独である
社会は「連続性」によって安定を保とうとする。
ルール、制度、教育、言語。
これらは滑らかな地図を描き、不連続を排除する。
だから跳躍者は常に孤立する。
ニュートン、ガロア、ラマヌジャン――彼らは時代の外側に立ち、異端と呼ばれた。
だがその孤独の中でこそ、跳躍の力は純化し、未来を切り拓いた。
跳躍の瞬間に生まれるもの
跳躍はただの移動ではない。
そこには「未知の構造」との遭遇がある。
言葉にできなかったものが形を持ち、
見えなかった世界が突然、輪郭を帯びる。
その一瞬こそが、存在を最も強く証明する瞬間である。