『我跳ぶ、ゆえに世界あり(Salto, ergo mundus est.)』第3章

第三章 跳躍の認識論

跳躍は偶然ではない

跳躍はしばしば「突発的」「非合理的」と捉えられる。

なぜなら、その飛躍は因果の鎖を断ち切り、説明不能な断絶を生むからだ。

しかし本質的には、跳躍は偶然の産物ではない。

潜在的に存在していた構造が、ある瞬間に表面化する現象である。

それは「見えない回路」が、臨界点でつながることによって起こる閃光のようなものだ。

リーマン球面の比喩

数学にたとえれば、リーマン球面における「無限大」の一点に似ている。

複雑に見える軌道も、球面上ではひとつの点に収束する。

跳躍は、分断されていた世界を一瞬で接続し、新しい地図を提示する働きを持つ。

AからZへの跳躍は「論理を飛び越える行為」に見えても、

実際には、ZはすでにAと隣り合っていた――ただそれを誰も見ていなかっただけなのだ。

未来は予測不可能ではない

未来は「見えない」からといって、完全に予測不可能なわけではない。

むしろ跳躍は、未来の断片を先取りしている。

それは偶然ではなく、潜在的に準備された必然の開花に近い。

人間の直感や閃光体験は、この「潜在的構造への接続」と言い換えることができる。

つまり跳躍は未来を呼び込む回路であり、思考の延長ではたどり着けない地点に触れる行為である。

AIと跳躍のちがい

AIは膨大なデータを統合し、最短距離の橋をつくる。

AからB、BからCを正確に進め、膨大な文脈を一瞬で結びつける。

だがAIは「橋を無視して飛ぶこと」ができない。

跳躍は、橋を架けるのではなく、橋の存在そのものを忘れて飛ぶ。

そこには危うさがあり、同時に人間存在の特権がある。

未来において、人類はAIと補完関係を築くだろう。

AIは橋を架け、人間は跳ぶ。

その交点にこそ、新しい文明の可能性が立ち上がる。

跳躍の必然性

跳躍は不連続に見えるが、根底では必然である。

それは世界の構造がもともと持っていた「潜在的接続」を、人間が瞬間的に掬い取ることによって生じる。

跳躍とは、偶然の飛躍ではなく、未来の必然への接続なのである。

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